パウル・クレーは抽象的な線と詩情豊かな色彩により、内面的な幻想世界を描いた画家として知られている。また、好んで腹話術師や道化師、怪物などを童心の純真さに通じる仕方で描いた画家として親しまれている。
私はというと、思想哲学の世界に触れるまで、クレーには全く関心がなかった。1919年にドイツで起こった芸術運動、バウハウスに関わった人、という程度の知識である。このバウハウスは、一般には工業技術と芸術との統合或いは複合を目指したものとされている。しかし実は、感覚の解放を含むもっと重要な意味合いを持つものであったと感じるようになったのも最近のことだ。
私がクレーの言葉と関わったきっかけは、大先輩の詩人がクレーの晩年の作品、天使のシリーズについて語って聞かせてくれたことがきっかけである。マンガチックな天使を描いたシリーズが40枚近くあるという。それが現代人にとって大きな意味を持つというのだ。 天使とは「傷つきやすく極端な脆さを持つくせに、我々人間を保護する神的な存在」のことを指すようである。
何のことやらよく理解できないでいたが、「クレーの日記」を読むとなるほどと思う。例えば21歳の頃の日記では「私は主張します。私は知っています。私は信じません。私は先ず見ようと思う。余は大いに絶望する。お願いです私は嫉みません。退却はしない。行動する。反対する。」などとある。すべての言葉に対して思わず「何を?」と訊きたくなるが、とりあえず、悩み多き若者であったことは間違いない。そして同じ頃の言葉に「宗教心が影を落とし始める。自然はすべてを支える力である。己を打ち壊し平凡を抜きん出んとする個性は罪に倒れる。個性より高邁なものがあるのだ。否定と肯定を超えるものがある」とあり、悩み多き若者は早くも宗教への関心が芽生えてしまう。
15年の後、第一次世界大戦中、次のように書く「私はこの肉体を捨て去り、いまや透明な結晶体となるだろうか?」この透明な結晶体は、冷たいロマン主義とも言われ、以降クレーのキーワードになる。同じ頃、日本人の芸者に三味線を弾いてくれと頼む夢を見たとある。「その音に誘われていくと、小さな守護神が現れ、可愛らしい手を差し伸べて、私を天界にそっと連れて行った」この小さな守護神がそのまま天使であるとは言い切れないが、別の箇所で彼が書いた「自分が描くのは人間という種や類ではない。宇宙の座標といったらいいだろうか」という一文と、先に挙げた若い頃の「自然はすべてを支える力である」という言葉で、彼の描く天使が、「傷つきやすく極端な脆さを持つくせに、我々人間を保護する神的な存在」であることを納得できるのである。
私は「透明な物」などこの世にありはしないと考えている。それは人の視覚で透明であるだけである。クレーの場合、身近な「透明」、壮大な「透明」を天使という形で、見えるものにしてみせたのだとしたら、40枚近くあるこのシリーズは現代人のみならず、今後も人々の生活に大きな意味合いを持たせ続けるであろう。