昨年だったか、伝説の投手、沢村栄治の球速を巡る論争が身近なところで起きた。珍しく沖縄でバスを利用したときのことだ。前に座った高校生二人が高校野球についての会話をしていたのだが、突然、「沢村栄治は160kmのストレートを投げた」 「昔の人にそんな体力あるはずがない」 という論争に発展してしまった。どちらも確証がないので決着がつくはずもない。1人は160kmを超える球速のストレートを投げたかもしれない沢村伝説に想いを馳せ、もう1人はそれを論理的に無理だと言う。バスを降り、さてどちらが正しいものかと考えてみて気になったのが、「昔の人の体力」である。本当に現代人が勝っているのだろうか?
当時の投手が投げる球速は測定されていないため、はっきりとは判らない。しかし私は元々は陸上競技選手である。陸上なら、明確な記録が残っている。1917年生まれの沢村栄治と同じ時代に活躍したアスリートですぐ浮かぶのが南部忠平だ。南部は1904年生まれだから沢村よりも年上である。1932年ロサンゼルス五輪で三段跳び金メダル、幅跳び銅メダル、世界のトップアスリートである。南部の記録で最も輝かしいのは1931年、走り幅跳びで7m98cmを跳び、当時の世界記録を樹立していることである。78年も前の記録だが、現時点でも日本歴代13位である。勿論この頃の競技場は今のようにタータントラック(合成ゴム製の競技場)ではなく、土のトラックである。スパイクも2段平行ピンではなく針のスパイクだ。因みに当時の短距離走においてはスターティング・ブロックもなく、ランナーは足を固定するため、スコップで穴を掘るのだ。これら当時の環境は1924年のパリ五輪が舞台でもある映画 「炎のランナー」 で良く描かれている。
人類の運動機能の向上は確かにあるが、技術的な向上を忘れてはならない。もし、南部が今の環境で跳躍したら、どうなるか?私は最低でも50cmは伸びると考える。何故と問われれば、実体験があるからだ。土の競技場と、タータントラックではそれほどの差が生じる。100m走でも同様で、私の場合は0.5秒~1秒は変わる。スターティングブロックがなければもっとである。つまり1931年、世界記録を出した南部は、今でも世界トップレベルのアスリートであるといえるのである。
南部だけではない、1905年生れの織田幹雄は1928年アムステルダム五輪で日本人初の金メダルを三段跳びで獲得し、1931年には15m58cmの世界記録を樹立している。この種目では8年後のベルリン五輪でも田島直人が16mを跳び世界記録で金メダルとなっている。因みに現在の日本記録は17m15cmである。Jr日本記録は1977年日本体育大学の中西の記録で16m29cm。この場合も環境が同じであれば、差は殆どない。
長くなるがもう1人だけ見てみよう。日本人女性初のメダリスト、人見絹江である。人見は800mでメダリストとなったが専門は走り幅跳びと短距離走で、100m、200、走り幅跳びそれぞれの元世界記録保持者である。その記録は陸上をやっている人にはなかなか信じがたいほどのものである。
- 走り幅跳び 5m97cm(1928年)
- 100m 12秒2(1928年)
- 200m 24秒7(1929年)
前述した当時の競技環境でこの記録は驚異的である。幅跳びにいたっては、年度によるが、このままでも最近の日本選手権優勝記録よりも勝っている。100mにしても同じ環境なら間違いなく11秒台である。
前置きが長くなりすぎたが、このように見てみれば、当時と現代の日本人の体力を比較すれば、平均では確かに差があるのであろうが、トップはそれほどの差がないものと考えられる。仮にもし、沢村の時代には140kmを投げれば剛速球だ、として、沢村の球速もその程度と考えてしまうと、彼の速球はアメリカ遠征の際、ベーブ・ルースなどメジャーの選手を相手に通用したのであるから、当時のメジャーリーグのレベルまで低いことになってしまう。とするならば、現代の速球投手と同様、150km前後は投げていたと見て間違いはないように思うがいかがであろうか。