ヴェーユについて
哲学、思想の世界で、今日一般的によく知られている女性はほとんどいない。哲学に精通していない人に、シモーヌ・ヴェーユ("ヴェイユ"とも訳されるが、ここではヴェーユとする)の名を出してみたところで、知っている人はまずいない。哲学科の学生でも知らない人が大半かもしれない。だが、ヴェーユは私にとっては衝撃的な思想家である。反戦の抗議運動でハンガーストライキを行い、34歳という若さで亡くなったことが影響しているのかもしれない。いずれにせよ、彼女の書いた言葉は、信じがたいが紛れもなくすべて30代前半までに書かれたものだ。
ヴェーユが生きたのは20世紀前半、激動と戦争の時代である。ヴェーユはパリの高等師範学校で哲学のアグレがシオン(フランスの1級教員資格)を取得し、リセ(日本での高等学校)の教師となる。彼女はこの教職を中断し、労働階級体験のために、工員として工場労働者となる。この後、スペイン市民戦争に参加する。1942年にアメリカに移住、さらにロンドンに移り、フランスレジスタンス運動に参加。戦争の悲惨さ、残酷さに抗議してハンストを行い、1943年、34歳でその生涯を閉じる。
ヴェーユの思想を理解しようと試みると、そのアプローチは「労働の意味」「異教思想の再評価」「キリスト教の脱権力化」「宇宙と人間の始原的な調和」など、様々な側面から行わねばならず、なかなか容易ではない。また、その著作がすべて没後に出版されたものでもあり、それは「本」にすることを目的とせずに書かれたものと思われる。主著とされている「重力と恩寵」も論文ではなく、「断章集」である。
この「重力と恩寵」を注意深く読み進むと、ヴェーユ自身が自己の思想世界を語っている。「注意と意志」にそれは出てくる。
「求める目的とは反対の結果を生む努力がある」
「一方、たとえうまくいかないことがあっても、いつも有益な努力もある」
以上の2つの文章である。ヴェーユは断章集でありながら、反対の結果を生む努力の例として、気難しくなった信仰深い女、まやかしの禁欲主義、ある種の献身、などを挙げている。そこで彼女は自問するのだ。うまくいかないことがあっても有益な努力もあり、問題は「どうやって両者を区別したものか」となる。日記に自問を書き記す際に例を挙げる、つまり彼女は思考の整理を行っているのである。ヴェーユを知るには、最も重要な部分と言えよう。それでは、自問に対する答えを見てみよう。
「恐らく、前者は、内心のみじめさに対する(まやかしの)否定を惹き起こし、後者は、自己のありのままの姿と愛する者との間の隔たりをたえず注意させることによる」
そして彼女は、「重力」と「恩寵」を次のように定義するに至る。重力とは、物体の重力にも似た心の惰性的で功利的な働きのことであり、恩寵とは、心の単なる自然的な働きをこえたものを指す、と。彼女は恩寵を「光」とも言い換え、故に『リア王』は「重力の悲劇」であるとしている。この「光」と「重力」こそが、彼女の言う宇宙を統御している二つの力である。人の思考において、「宇宙」、或いは「文化」や「時間」「空間」「生物」等を定義してしまうと、それは例外なく、その人の思想すべての根幹の一部となる。
ではヴェーユの根幹は、どのように派生するのだろうか?以下見てみよう。
「五感のすべてを通じて宇宙を感じること。そうすれば、そのことが楽しみを与えようと苦痛を与えようとどうでもよい」
「肉体的な呼吸のリズムと宇宙の運行リズムとを組み合わせることが必要である」
「リズム」という言葉は「音楽」を連想させる。ヴェーユの場合は、恐らく、「音楽」による例を挙げるために「リズム」を前もって想起したと思われる。であるので、派生はこのように進み、言い切る。
「音楽の熱烈な愛好家が背徳漢であることも十分ありうる。しかしグレゴリオ聖歌を渇望する人が背徳漢であるとはとても考えられそうにもない」
先にも述べたが、「重力と恩寵」は断章集である。であるので私には、ヴェーユの思想は人間臭く、親近感を持って接することが出来る。はたから見れば、ただの屁理屈かもしれない。だが、思想とは、屁理屈の正当化に他ならないのである。