3月27日、東京電力は福島第1原子力発電所2号機のタービン建屋地下の水たまりで26日に採取した水の放射性物質の濃度は、通常に運転している原子炉内の水の約1000万倍にあたると発表した。
事故が起きてより、政府、および東京電力による測定された放射線量が幾度となく報告されており、その都度、「ただちに健康に被害はない」とう言葉が繰り返されてきた。この記事を書いている前日、福島県浪江町で23日からの24時間に、1437マイクロシーベルトが観測されたことが、文部科学省の調査で分かった。これは常に屋外にいた場合、一般の人が1年間に浴びる放射線の法定限度1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)の約1.4倍に当たる。それでも原子力安全保安委員会は「身体に影響するレベルではない」とした。
実際、これが健康にどのような影響をもたらすのか、私には判断が出来ない。その反面、「問題ない」ものとして信頼することもできないでいる。多くの人が私のように感じていることと思う。
多くのWEBサイトでも「ただちに」という表現が問題視されているが、私もこの報道に疑問と不満と、そして不安を感ずる一人である。風評に惑わされないように、という呼びかけを政府は行っているが、他でもない政府が、風評の根源ではないかと私は感じるのだ。
「ただちに」とは文字通り、「今すぐ」を表す。であるので、「ただちに健康被害が出るものではない」と言われると、今すぐは出ないが、暫くしたら出る、と先ず私は解釈する。だがここで疑問が生じる。「長期的に」という表現も発表では幾度も使われるのだ。全くもって分からないのは、「ただちに」と「長期的に」の期間だ。「ただちに」という言葉が繰返し連日使用されるのである。“ただちに”とは随分と長いものだなと、不安や疑問を超えて、ただ呆れてしまう。少なくとも、原発事故が起きてからこの約2週間は「ただちに」の期間なのだろうか?
いずれにせよ、政府や東京電力は国民を安心させるつもりで「ただちに」という表現を使ったのであろうが、これが全くの逆効果である。いつからか健康に被害が出るのでは、という不安。そして政府や東京電力はデータを隠しているではないかという不信。この報道では当然これらが出てくる。「風評は良くない」としたところで、不安と不信から生じる憶測を止めよ、というのは無理難題だ。
東京電力は勿論、政府が信用できない。このことを改めて私は実感した。政府については、政権与党がどこでも同じことであろう。このような大惨事であっても、情報を隠している、そう疑う瞬間が多々あるのだ。だがそれでも、我々国民は「情報公開を」と言い続けるより他に手段がない。何しろ、このままではすべてが、「憶測」であり、「風評」でしかないのだから。